桁行5間、梁4間、単層入母屋造りで、柿萱(現銅萱)であった。建物の主体となる軸部の木割は太く、斗拱は比較的「せい」が高い。柱も棰も割合に太く、外陣の虹梁は絵様は全くない。上の板蟇股の断面も「はち型」で古風を帯び、室町中期以前の建築と見られる。天正に金森氏が大修理を加えたが、向拝の形式は虹梁も袖切に近く若葉を刻んで眉を広くとり、木鼻は獣類形の丸彫、手狭は外側に絵様、内側に草花の高肉彫を施す。妻の虹梁も同形式で、破風の巾も広く共に桃山期の豪華がみられる。しかも内外の調和と統一ある設計は見事で、工匠の非凡さがうかがわれる。昭和29年解体修理をした。
尚現存する国分寺中、創立当初の建築を保存するものは一つもなく、国宝、重文の建築物を有するのは、わずかに東大寺と讃岐、土佐、信濃、飛騨の四寺のみである。
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■本尊薬師如来御像(重文) 行基菩薩一刀三礼の作と伝える。坐像、木彫、身丈四尺七寸四分。光背と蓮台とは正徳五年の後補である。この尊像は当国最古のもので、江戸時代には享保年中と寛政七年の二回江戸本所回向院に出開帳したことがある。明治三四年国宝に指定され、三六年美術院嘱託新納忠之助来院して、本尊軀の復元修理をした。 薬師如来は西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して東方浄瑠璃界の教主です。その名の通り医薬を司る仏で、医王という別名もあり、衆生の病気を治し、安楽を与える仏とされます。このため仏像は薬壷を持っています。 この仏は菩薩であったころ、十二の大願を立てたとされ、その七番目の願いに「病のものも私の名前を聞けば患いが除かれる」とあって、これが薬師信仰の根拠とされています。 |
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■阿弥陀如来 恵心僧都の作と伝え、昔持仏堂の本尊であったが、寛政三年持仏堂炎上の際自ら庭前の桜樹に避難された霊像である。膝張りは短く厚みがあり、胴体も短軀で首も太い。螺髪は比較的大きく肩の張りは丸味を帯びてなだらかとなり冥目したおだやかな眼など、全体印象は温和平明で、定朝様式の先駆をなす様式と拝せられる。身丈60センチ。 高山市指定文化財 阿弥陀如来はその寿命が無限であることから無量寿如来(梵名アミターユス)またその光が無限に十方世界を照らすことから無量光如来(梵名アミターバ)とも呼ばれる。 西方極楽浄土の教主される。 |
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■聖観世音菩薩(重文) 立像木彫、仏師春日の作と伝え、藤原前期と見られる。身丈6尺6寸(天平尺7尺に相当)。この像は天正年中、当時中興玄海法印が夢の告によって、市内上岡本地内、辻ヶ森観音堂より移したという。飛州志辻ヶ森の条には、「観音ノ草堂アリ」と記し、又近年までその礎石も多数残存していたと古老は語っているが、ここをもって国分尼寺跡と推定されている。特に制作優秀に因り、明治34年本尊と共に国宝に指定された。 聖観音菩薩の名を唱えれば、火難・水難など7つの難から逃れられ、聖観音菩薩の名を念じれば、むさぼり、いかり、迷いをが無くなると伝えられています。 |
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■弁財天(円空上人作) 円空上人は美濃竹鼻の人で台蜜の行者、延宝の頃飛騨の山中に住して常に鉈一丁を持って仏像を彫刻した貞享の末頃、「今世の気運を見るに高山城既に廃するの時近きあり。不詳の地には居るべからす」と語って飛騨を去った。元禄八年関弥勤寺で生定にはいって命を絶つが、この弁財天は当地在留の頃の作である。身丈1メートル。宝冠をいただき古式の笑顔をした人間味豊かな作風である。 |
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■不動明王 不動明王は悪魔を降伏するために恐ろしい姿をされ、 すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わないものを 無理矢理にでも導き救済するという役目を持っておられ 真言宗の教主「大日如来」の使者です。 |
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■如意輪観音 人々を苦悩から救い、あらゆる願いを叶える観音菩薩 「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳もたらす如意宝珠という宝の珠のことであり、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指している。その二つを手に持った観音菩薩ということで如意輪観音という。 六観音の一つに数えられ、天界道に迷う人々を救うとされるが、6本の手で六道すべてに救いの手を差し伸べるともいわれている。 智慧、財福、福徳授与、安産、延命のご利益があるとされる。 |
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天平最初に七重大塔の中心礎石と推定される。形はほぼ方形で、径約1.8メートル、中央に径132センチ、高さ1センチ余の円柱座を造出し、更にしその中央に径58センチ、浮かさ28センチの円孔をあけ、地上全高約1メートルを算する。石質は花崗岩で関野貞博士は、「この円孔穴内に仏舎利を納めてその上に蓋石で塞ぎ、更にその上に大塔心柱を建て置いたのも」という。
天平の大塔の後、斉衡元年(平安初)五重塔を再建したと伝え、近世初頭、国主金森公は当寺を再興し、元和元年五重塔を建立した。この塔は天和年中に三重に減じたが、寛政三年の烈風で吹倒された。その後、文政4年現在の三重の塔が完成した。走高74尺露盤の大きさ方4尺、工費金800両、大工500人を要した。屋根は柿萱であったが、大正11年塚越斧太郎居士の寄進で銅萱に改めた。白木造りの雄姿は山都高山の風物詩である。
本尊に大日如来を安置し、心柱には仏舎利を納めている。
鐘楼門は重層入母屋造りで、下層は旧高山城の一部遺構を移築したものと思われれ、戦国時代の剛健簡素の建築である。上層は宝暦11年に梵鐘の改鋳に際し増築したものであるが上下層ともよく調和を保っている。
(高山市有形文化財指定)
梵鐘は宝暦11年に改鋳したものであるが、
仏教の六道輪廻の思想(仏教において迷いあるものが6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救って下さる菩薩であると信じられ礼拝の対象となってきました。
『六道』と呼ばれる六つの世界
・『地獄道』罪を償わせるための世界
・『餓鬼道』餓鬼の世界
・『畜生道』牛馬など畜生の世界
・『修羅道』阿修羅の住む世界
・『人間道』人間が住む世界
・『天上道』天人が住む世界
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国分僧寺 | 所在地 | 国分尼寺 | 所在地 | |
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■総国分寺 東大寺 |
奈良県奈良市 | ■総国分尼寺 法華寺 |
奈良県奈良市 | |
●畿内 | ||||
1 | 山城国分寺 | 京都府木津川市 | 山城国分尼寺 | 京都府木津川市 |
2 | 大和国分寺 | 奈良県奈良市 | 大和国分尼寺 | 奈良県奈良市 |
3 | 河内国分寺 | 大阪府柏原市 | 河内国分尼寺 | 大阪府柏原市 |
4 | 和泉国分寺 | 大阪府和泉市 | 和泉国分尼寺 | (未詳) |
5 | 摂津国分寺 | 大阪府大阪市 | 摂津国分尼寺 | 大阪府大阪市 |
●東海道 | ||||
6 | 伊賀国分寺 | 三重県伊賀市 | 伊賀国分尼寺 | 三重県伊賀市 |
7 | 伊勢国分寺 | 三重県鈴鹿市 | 伊勢国分尼寺 | 三重県鈴鹿市 |
8 | 志摩国分寺 | 三重県志摩市 | 志摩国分尼寺 | (未詳) |
9 | 尾張国分寺 | 愛知県稲沢市 | 尾張国分尼寺 | 愛知県稲沢市 |
10 | 三河国分寺 | 愛知県豊川市 | 三河国分尼寺 | 愛知県豊川市 |
11 | 遠江国分寺 | 静岡県磐田市 | 遠江国分尼寺 | (未詳) |
12 | 駿河国分寺 | (推)静岡県静岡市 | 駿河国分尼寺 | (未詳) |
13 | 伊豆国分寺 | 静岡県三島市泉町 | 伊豆国分尼寺 | 静岡県三島市 |
14 | 甲斐国分寺 | 山梨県笛吹市 | 甲斐国分尼寺 | 山梨県笛吹市 |
15 | 相模国分寺 | 神奈川県海老名市 | 相模国分尼寺 | 神奈川県海老名市 |
16 | 武蔵国分寺 | 東京都国分寺市 | 武蔵国分尼寺 | 東京都国分寺市 |
17 | 安房国分寺 | 千葉県館山市 | 安房国分尼寺 | (未詳) |
18 | 上総国分寺 | 千葉県市原市 | 上総国分尼寺 | 千葉県市原市 |
19 | 下総国分寺 | 千葉県市川市 | 下総国分尼寺 | 千葉県市川市国分 |
20 | 常陸国分寺 | 茨城県石岡市 | 常陸国分尼寺 | 茨城県石岡市若松 |
●東山道 | ||||
21 | 近江国分寺 | (推)滋賀県甲賀市 (推)滋賀県大津市 (推)大津市光が丘町 |
近江国分尼寺 | (未詳) |
22 | 美濃国分寺 | 岐阜県大垣市 | 美濃国分尼寺 | (推)岐阜県不破郡垂井町 |
23 | 飛騨国分寺 | 岐阜県高山市総和町 | 飛騨国分尼寺 | 岐阜県高山市 (辻ヶ森三社) |
24 | 信濃国分寺 | 長野県上田市国分 | 信濃国分尼寺 | 長野県上田市 |
25 | 上野国分寺 | 群馬県高崎市東国分 | 上野国分尼寺 | 群馬県高崎市 |
26 | 下野国分寺 | 栃木県下野市国分寺 | 下野国分尼寺 | 栃木県下野市 |
27 | 陸奥国分寺 | 宮城県仙台市 | 陸奥国分尼寺 | 宮城県仙台市 |
28 | 出羽国分寺 | (推)山形県酒田市 (推)山形県鶴岡市 |
出羽国分尼寺 | (未詳) |
●北陸道 | ||||
29 | 若狭国分寺 | 福井県小浜市国分 | 若狭国分尼寺 | (未詳) |
30 | 越前国分寺 | (未詳) | 越前国分尼寺 | (未詳) |
31 | 加賀国分寺 | (推)石川県小松市 | 加賀国分尼寺 | (未詳) |
32 | 能登国分寺 | 石川県七尾市 | 能登国分尼寺 | (未詳) |
33 | 越中国分寺 | 富山県高岡市 | 越中国分尼寺 | (未詳) |
34 | 越後国分寺 | (推)新潟県上越市 | 越後国分尼寺 | (未詳) |
35 | 佐渡国分寺 | 新潟県佐渡市 | 佐渡国分尼寺 | (未詳) |
●山陰道 | ||||
36 | 丹波国分寺 | 京都府亀岡市 | 丹波国分尼寺 | 京都府亀岡市 |
37 | 丹後国分寺 | 京都府宮津市 | 丹後国分尼寺 | (未詳) |
38 | 但馬国分寺 | 兵庫県豊岡市 | 但馬国分尼寺 | 兵庫県豊岡市 |
39 | 因幡国分寺 | 鳥取県鳥取市 | 因幡国分尼寺 | (推)鳥取県鳥取市 |
40 | 伯耆国分寺 | 鳥取県倉吉市 | 伯耆国分尼寺 | (推)鳥取県倉吉市 |
41 | 出雲国分寺 | 島根県松江市 | 出雲国分尼寺 | 島根県松江市竹矢町 |
42 | 石見国分寺 | 島根県浜田市 | 石見国分尼寺 | 島根県浜田市国分町 |
43 | 隠岐国分寺 | 島根県隠岐郡隠岐の島町 | 隠岐国分尼寺 | 島根県隠岐郡隠岐の島町 |
●山陽道 | ||||
44 | 播磨国分寺 | 兵庫県姫路市 | 播磨国分尼寺 | 兵庫県姫路市 |
45 | 美作国分寺 | 岡山県津山市 | 美作国分尼寺 | 岡山県津山市 |
46 | 備前国分寺 | 岡山県赤磐市 | 備前国分尼寺 | (推)岡山県赤磐市 |
47 | 備中国分寺 | 岡山県総社市 | 備中国分尼寺 | 岡山県総社市上林 |
48 | 備後国分寺 | 広島県福山市 | 備後国分尼寺 | (推)広島県福山市 |
49 | 安芸国分寺 | 広島県東広島市 | 安芸国分尼寺 | (推)広島県東広島市 |
50 | 周防国分寺 | 山口県防府市 | 周防国分尼寺 | 山口県防府市国分寺町 |
51 | 長門国分寺 | 山口県下関市 | 長門国分尼寺 | (推)山口県下関市 |
●南海道 | ||||
52 | 紀伊国分寺 | 和歌山県紀の川市 | 紀伊国分尼寺 | (推)和歌山県岩出市 |
53 | 淡路国分寺 | 兵庫県南あわじ市 | 淡路国分尼寺 | (推)兵庫県南あわじ市 |
54 | 阿波国分寺 | 徳島県徳島市 | 阿波国分尼寺 | 徳島県名西郡石井町 |
55 | 讃岐国分寺 | 香川県高松市 | 讃岐国分尼寺 | 香川県高松市 |
56 | 伊予国分寺 | 愛媛県今治市 | 伊予国分尼寺 | (推)愛媛県今治市 |
57 | 土佐国分寺 | 高知県南国市 | 土佐国分尼寺 | (未詳) |
●西海道 | ||||
58 | 筑前国分寺 | 福岡県太宰府市 | 筑前国分尼寺 | 福岡県太宰府市 |
59 | 筑後国分寺 | 福岡県久留米市 | 筑後国分尼寺 | (推)福岡県久留米市 |
60 | 豊前国分寺 | 福岡県京都郡みやこ町 | 豊前国分尼寺 | (推)福岡県京都郡みやこ町 |
61 | 豊後国分寺 | 大分県大分市国分 | 豊後国分尼寺 | (推)大分県大分市 |
62 | 肥前国分寺 | 佐賀県佐賀市 | 肥前国分尼寺 | 佐賀県佐賀市 |
63 | 肥後国分寺 | 熊本県熊本市 | 肥後国分尼寺 | 熊本県熊本市 |
64 | 日向国分寺 | 宮崎県西都市 | 日向国分尼寺 | 宮崎県西都市 |
65 | 大隅国分寺 | 鹿児島県霧島市 | 大隅国分尼寺 | (未詳) |
66 | 薩摩国分寺 | 鹿児島県薩摩川内市 | 薩摩国分尼寺 | (推)鹿児島県薩摩川内市 |
67 | 壱岐島分寺 | 長崎県壱岐市 | 壱岐島分尼寺 | (未詳) |
68 | 対馬島分寺 | 長崎県対馬市 | 対馬島分尼寺 | (未詳) |
〒506-0007
岐阜県高山市総和町1-83
TEL 0577-32-1395